神奈川県の私得文学の旅ということで、村上春樹の小説『ダンスダンスダンス』に登場する辻堂の「ハングリータイガー」へ向かった一行。
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ユキも食べたであろう美味しいお肉を堪能したのち、JR辻堂駅から川上弘美の小説『真鶴』の舞台となった真鶴半島を目指します。
小説『真鶴』は川上弘美の島文学の真骨頂
『真鶴』は川上さんが2006年に出版した長編小説です。あらすじを補足しますと
主人公は執筆業で生計を立てている女性。12年前に夫が失踪してからは、東京で母親・娘と女3人で暮らしています。ある日ふらりと電車に乗って真鶴を訪れる主人公。真鶴を訪れた後、失踪した夫の残していった日記に偶然にも「真鶴」の文字を見つけます。それから彼女は何かに引きずられるように繰り返し彼の地を訪れていく
というおはなしです。
初期の川上作品に通ずるような、異界のものが登場する幻想的な側面のある小説です。
川上作品にしばしば登場する島
それにしても、川上さんはご自身の小説の中にしばしば島(名のあるものからないものまで)を登場させます。
『光ってみえるもの、あれは』では主人公の江戸翠が長崎の五島列島の「野崎島」で一夏を過ごし、『センセイの鞄』ではセンセイの出奔した妻は、とある島で最期を迎えます。
川上さんの新婚旅行もマダガスカル島だったし、彼女は島というものに心ひかれる質なのでしょうかね。
小説では東海道線で東京駅から真鶴駅へ向かう
小説『真鶴』では主人公はふっと思い立って、東京駅から発車する東海道線に乗り込みます。しかしだんだんと心細くなって、熱海の手前の真鶴で下車します。
物語では夜7時に東京駅を出たとあるので、2019年7月現在乗り換えなしで東京駅から真鶴駅へ向かう場合
19:10東京駅発(JR東海道本線熱海行き)
20:46真鶴駅着
この電車に乗ると、一番雰囲気が近いのではないでしょうか。
今生と他生をむすぶ電車
真鶴を訪れた主人公は、白昼夢のような幻影を見たり失踪した夫の面影のようなものと出会います。真鶴と彼女が暮らす東京は、以下の様に明確に線引きされています。
真鶴⇔東京
まぼろし⇔うつしよ
他生⇔今生
他生は過去及び未来で、今生は現在生きているこの世。主人公にとっての今生と他生を、電車はむすんでいます。すごいぜ東海道本線。
物語とリンクする真鶴の風景
小説『真鶴』には、真鶴の土地に実際に存在するものがたくさん登場します。川上さんも何度かこの地に足を運んで、丹念な取材をされたのではないでしょうか。
物語でも主人公は、合計4度真鶴の地を訪れます。
実のところ私が真鶴を訪れるのも、今回が2度目になります。『真鶴』が出版された2006年に、どうしてもこの地を訪れてみたくなって青春18きっぷをつかって旅をしました。
前回行けなかった場所をぶらぶらと巡りながら、どうして川上さんがこの真鶴の地を題材とした小説を書いたのか、ぼちぼち肌で感じられたらいいなと思います。
JR真鶴駅から発車するバス
真鶴では、当たり前のように時間が流れていきません。
主人公は「バスは10分後(に来る)」と強く自分に言い聞かせることで、現実とのつながりを保とうとします。
しかしここ真鶴の地は、主人公にとってのうつしよ。なかなか現実の世界に戻ることができないのです。
入り江
バスに乗車し、停留所「魚市場」で下車すると入り江に着きます。
半島の突端
主人公がコーヒーを飲んだ白い建物
小説では、主人公の内面と呼応するかのように、ケープ真鶴も彼女の意識の中で崩れ落ちてしまうシーンが描かれています。
我々は、主人公の飲んだコーヒーではなく、お店イチオシのソフトクリームを食べました。マンゴーソフトについては「甘ったるこい」という口コミもみかけましたが、結構さっぱりしていておいしかったです。
与謝野晶子の歌碑
ケープ真鶴の横手にある与謝野晶子の歌碑。与謝野晶子については、主人公と、彼女にまとわりつく※異界の女が「ふたごを2組産んだのは与謝野晶子だったかしら」などと、間延びした会話を交わしています。
※便宜上「異界の女」と呼びます。
岬から海へ降りる階段
岬の海岸
沖にある大岩
この大岩こそが、三ツ石海岸の名のもとになった三ツ石です。海岸からは二つしか岩があるように見えませんが、ちゃんと三つあります。
異界の女に「もう気がすんだ?」と訊かれた主人公は、こどものようなあどけなさで「うん」と答えます。そして「さみしい」とも。
もう彼女はこの地を訪れてもケープ真鶴が崩れ去る姿や、失踪した夫の姿を見ることはないでしょう。真鶴への旅は、4回目にして幕を閉じます。
自分のために真鶴を訪れ続けた主人公
私が2006年の7月に訪れた時の真鶴は、暑くて、青い海がきらきらと光る街という印象でした。
今回2019年の4月に訪れた真鶴は、「色が薄い」というか「風景画のような」街という印象でした。
湯河原と熱海という観光地にはさまれた土地というポジション、しかし極端にさびれているわけでもなくことさらのんびりとしているわけでもない。
そういった部分が、川上弘美さんの心を惹いたのかなと感じました。
なつかしくてさみしくてもう帰ることがない場所
主人公は、彼女にまとわりつく異界の女に「夫のためじゃなく自分のために真鶴を訪れているのよ」と言われます。
夫の失踪から12年経って真鶴を訪れて、主人公は夫(の姿をとったもの)に会い会話をします。
しかし失踪した夫に会ったからといって、夫の失踪の理由が判明したり、それまで主人公が抱いてきた気持ちが明確に片付くということはありません。
彼女は、晴れやかな気持ちになるわけでもなく、ただ「もう現実の真鶴の土地が崩れ去るような光景を見ることはないんだな」と感じて真鶴の地を後にします。
真鶴は、主人公の京がそういう気持ちを抱くにふさわしい土地であるかのように思えたのでした。